私が小学生の頃の修羅場。

姉は当時大学生。

父親が私に家族旅行の話をしてくれた。

何月何日に新幹線でどこそこへ行って何を食べる予定というのを話してくれた。

小学生の私は楽しみで楽しみで仕方なかった。

前日、母と「楽しみだねー」と話してた。


当日の朝、父方の祖母と伯母が来た。

父「じゃ、行ってくるよ。お土産は買ってこないからな」

母「え?」

私「いってきまーす」

父「お前、ついてくる気か?」

私「え・・・だって家族旅行って・・・」

父「俺の家族の旅行。こっちの家族旅行。お前は姉ちゃん(母方伯母)とおふくろ(母方祖母)と家族じゃないだろw」

姉「何それ?家族って言ったら私たちのことじゃないの?」

私、大泣き。


姉はこっちの予定も聞かずに勝手に父がサクサク計画を立てたとブツブツ言ってたけど、まさか家族旅行の「家族」に自分たちがメンバーに入ってなかったとは思いもしなかったらしい。

当時の私は知らなかったけど、祖母は母に嫌がらせをしてたらしい。

伯母も嫌がらせしてたらしい。

私はよく伯母と祖母から「あんたのお母さんはだらしないからねー」と言われてた。

母がお味噌汁を吹きこぼしたことがあるから、そのことを言ってるのだとずっと思ってた。

何年も話題のネタはそれしかないあまり会話が上手くない祖母と伯母なんだと思う程度だった。

母と姉が父に言っても「どうせお前らが悪いんじゃね?」だったらしい。

そんな父が家族旅行を計画してくれたので、母も姉も父を見直して、勝手に進める計画にも反対や意見を言わないようにしてたそうだ。

ようやく家族に向き合ってくれたと喜んでもいたそうだ。


ブチ切れた姉は、就職してすぐ家を出た。

片親にするわけには・・・と躊躇する母親に、

「どちらにしろ私は妹(私)を連れて家を出るよ。一人であの男と一緒に住みたいならどうぞ」と引っ越し。

「でも」と迷ってた母だが、姉と私が出て行った途端、父は祖母といまだ独身の伯母を連れて帰り、私たちの部屋だった場所に二人を住まわせた。

その後も母は父と住み続け、姉のいない昼間に私と姉の住む家に来たりした。

家族旅行の家族のメンバーに自分が入ってなかったことと、自分は父の家族じゃなかったのかと思ったことと、旅行に行けなくて悲しかったのが修羅場。

あと、昼間に通ってくる母が、父や祖母伯母への愚痴、姉への愚痴をずっと私に言うのが辛かった。

姉は私を妹だと言い家族だと言ってくれてたので甘えてたけど、母は「一緒にお父さんの所へ帰ろう」と姉から引き離そうとするし、でもお父さんのところと言っても、そのお父さんは私たちを家族扱いしてなかったし、どうしていいのか分からなかった。

いつか自分の居場所がなくなるんじゃないかと思いながら姉の帰りを待っていた時も修羅場。

「遅くなるから先に寝ててね」と姉から連絡があっても、不安で不安で玄関をずっと見て起きてた。


その後、母は父のところを出て私たちのところへ住み、仕事に就いた。

母がいなくなり、祖母と伯母が甘やかしたからなのか成人病が悪化した父が亡くなった。

母は最期まで「ちゃんと見てないと、不摂生するから」と父を心配してたけど姉は「は!自業自得」といつも言ってた。

実家の相続で「あんたの姉は図々しい」と祖母が言ってきたが、姉は祖母と伯母を追い出し家と土地を売った。

姉はずっと私に「あなたは何も心配しなくていいからね」と呪文のように言ってくれてたけど、ぐずぐずの母と不安で赤ちゃんがえりした私を抱えて大変だったと思う。

「ごはんと洗濯と掃除してくれたらすごく助かるんだけどな」

と姉に言われ、頑張ったけどいま思えばかなり不味いごはんをよく姉は食べてくれたもんだなと思う。

姉は好きだけど、姉のことを「強引で冷たい。お父さんはお姉ちゃんに見捨てられたのかも」と言う母はあまり好きになれない。


父は母方の祖父母が生きていたころは母に優しかったらしい。

姉も優しかったころの父親を知ってるみたいだけど私は知らない。

私と姉の年が離れてるのは、赤ちゃんが生まれれば昔のように良い父親に戻ってくれるかもと思ったかららしい。

いまだに愚痴を言う母からの話なので真偽は確かめようがないけど。